承前
二
次いで、四月から、浜松城公園の中にある浜松市美術館で『古代カルタゴとローマ展』が催され、これも妻と二人で出掛けた。四月二十五日、快晴の日曜日だった。
出展は、チュニジアのカルタゴ、バルドー、ケルクアンの三つの博物館から持参した、殆どが日本で初公開となる作品、
一六〇点からなる見甲斐のあるものだった。一六〇点のうち、一〇〇点は、古代カルタゴ時代の遺品で、ローマの遺産ではないのだが、ローマと覇を競い合った、同じ地中海を囲んで栄えた国であると考えるならば、ここで、カルタゴの遺産について触れることも、横道への脱線にはならないであろう。
そこで、まずカルタゴの遺産のことから記す。その出展作品は、紀元前三~四世紀のもので、テラコッタや陶器やガラスの焼き物類、石灰岩の墓碑・墓石類、貨幣や装飾品の金属類と、その多くは小物ながら私の愛美心を操るものが少なからずあった。
ガラス製品では、どれも三・四センチの、小さな目鼻立ちを多彩な色使いではっきり焼き上げたマスク仕立ての十個ほどのペンダントが、その幼稚素朴であどけない表情によって目を引いた。それを首に下げた遠い昔のカルタゴ人のモダンを思いやらざるを得なくなる。
それから、粘土造りの素焼きの、大きくても三十センチぐらいのテラコッタの小品が、どれも素朴な愛らしさを湛えて並んでいた。上に吸い口と取っ手が付き、胴に注ぎ口の付いた、酒か乳かの容器の胴に茶色で描かれた単純な図柄が、容器そのもののシンプルな造りと相俟って、何とも質朴な優しさを伝えているし、女性の頭部を模った香炉のその女の顔や、宝冠を頂き、薄い布地の衣装を纏って立つ長い髪の女性像(どうやらローマのヴィーナスに相当するフェニキアの女神らしい)は、どれも僅かの力で壊れてしまうに違いない素焼きのあわれがあって、そっと机上の手元に置いて慈しみたくなるような、儚い優しさを決定づけている。そんな中で、丈が五十センチはあったであろうか、張りのある乳房の胸を反らし、獅子の四脚で立つスフィンクスの像の一体があったが、それは、円錐状の帽子を被って笑みを浮かべた、いかにも女らしい面差しをしていた。彫りの見事さもあって、思わず惚れ惚れと見てしまう怪物に仕上がっていて、私には嬉しい傑作だった。
その後に続いて、板状破風型の、文字や人体の浮き彫り・線彫りを施した墓石碑や、長方形の骨壷等の葬送の遺物があったが、その中では、床に置いてただ一点出展されていた、大理石の屋根型の石棺の蓋が、そこに彫られた二メートル近い女性像によって、こちらを釘付けにした。こんなに堂々とした女性像を浮き彫りにした石棺の蓋を見るのは始めてのような気がする。この蓋の下に葬られたのは、どんな人物だったのだろう。
冠を頂いた女性は面長ではあるが膨よかで、髪を両肩先に下げ、耳朶にはイヤリングが下がっている。左手には壷のようなものが捧げられ、腰先に置かれた右手には鳩が握られている。衣装を身に纏った腰から下は、大きな鳥の翼で覆われている。その姿は、一寸大袈裟になるが、女王と呼ぶに相応しい高貴な重量感を持っていた。鳩はあるいはアフロディテの女神を示し、腰の翼は太陽神のシンボル大鷲のものかも知れない。いずれにしろ神格化されるに相応しい人物の亡骸がこの下に納められたに違いなかろう。
カルタゴの遺品の最後は、金貨と金製の耳飾り・指輪・印章などの小物で締めくくられていた。
後半のローマの物は、大理石の頭部や胸部の像から始まったが、ヴィーナスもマルクス・アワレリウス帝もパドリアヌス帝も、見るも無残な鼻欠けで気落ちしたが、そんな中で、首を欠いてはいるのだが、ローマ式衣服を身に纏い、それでもヴィーナス像と名指された、我々の背丈に近い大きさの大理石像一体は、着衣の級の出来が、その人体像のどっしりとして豊かな風格をこちらに伝えてきて、気落ちした気分を埋め合わせてくれた。
このあと、直径十センチぐらいの、円上に様々な物語的人物像を浮き彫りにした、小さなローマ式のランプが二十ほど展示されていて、芸術的感興を呼ぶものではなかったが、私には珍しいものだった。
しかし、何と言っても、そのスケールと表現とから、圧倒 的な魅力を発揮していたのは、最後のモザイク作品の展示である。点数からすれば、十五点程にしか過ぎないが、纏まったモザイク画の展示など、これまで展覧会で出会ったことがないため極めて新鮮。殆どが三、四世紀に造られた、ローマ時代の建物の床を飾っていたものだったが、細かに散り嵌められた大理石の石片によって、モザイク画特有の艶のある画面として残っている。
しかもそれらが、小さくても1メートル四方、多くは、一辺、二メートルから三メートル位の四辺形を成していて、それを元の建造物の床から剥がして貼り替え、文明の遺産として保存してきた、そういう展示物だということになる。つまり、そもそもは現実の日常の場にあったものを、そこから剥離して、特別な美的芸術空間を支配するモザイク画として、それを楽しもうとする、遊び心に根差す人間の我が儘な厚かましさがそこには見透かせる。大きな作品は壁面に飾れないため、展示室の床面に置いて、囲われたロープの回りを見て歩くようになっていたが、かつて日常的に何でもなくその上を歩いていたローマ人たちを想像させる効果を持っていた。
しかも、それらの画題は、その遊び心を触発するものばかりなのである。作品一点一点のモチーフが、その題名からして、見事二つに分かれており、その一つは「野兎の追跡」「落馬する狩人」「狩猟からの帰還」「二人の漁師」といった狩猟(漁)という日常生活を活性化するための遊びであり、今一つは、「メドゥーサ」「アモルとプシュケ」「オケアノス」「ネプチューン」「ヴィーナスの身支度」といった、ローマ神話の架空の物語り的世界に寄せる遊びてあって、そこに既に、人間の日常を楽しむ心と、そこを離れて美の虚構を楽しむ心を、否応なく読まざるを得なくなる、そういう仕掛けになっていたのだ。
それにしても、モザイクされた人物も動物も、その形が石で象(かたど)られているだけでなく、家られたそれらが、石の濃淡による陰影を生みだし、表現の立体化が意図されているところを見ると、太陽の日差しと吹き抜ける風とに晒される、アフリカ大陸の地中海に面した沿岸部に根を下ろすローマ帝国文化の、大どかに明るすぎる風土的必然を、感取できてしまう。
しかも、古代ローマ人の、恐らくカルタゴにおけるモザイク画というものの原初であったろうことを思えば、この作品群が持つ大どかな素朴さは、こちらの、けちでちまちました気分から解き放つ温もりを齎してくれる。
その広い床面と、壁面を飾ったモザイク画の部屋を最後に、私たちは館外へ出た。既に四時になっていた。、それもその筈、その日の午前中、私たちは既に、賀茂神社·賀茂真淵記念館と木下恵介記念館を訪ねていたのである。そしてそのどちらにもこの浜松が生んだ偉人と言っていい人物だけに、期待するところが大いにあったにも関わらず、そのどちらから、出展内容の貧しさによって期待を裏切られ過ごしていたのである。それが、遥かに遠いカルタゴとローマ展によって救われたのだから、この皮肉な結末には、何とも感謝!である。
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