川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

ガラス絵二〇〇年の幻惑
            ー冬の宵の孤独 観て歩きの幸せー

 二月八日のその日、ティツィアーノの色気世界に略酊した私は、いつもの精養軒に行って、ランチの定食をとった。

 酔酊は、食べることにだけただ「うまい」と反応し、味覚を確かめる集中力を全く失わせ、コーヒーもただぼんやりと喫して過ごす始末となった。

 のろのろ食べ終われば、三時がもう近くなっている。

 ところで、凡そ絵には、「ガラス絵」という世界のあることを御存じか。

 それについて、私の好きな画家小出楢重は「ガラス絵の話」という文章を残していて、私が「ガラス絵」のことを知ったのはそのお陰だが、小出は、そこで次のように説明している。

油絵はトワアルあるいは板へ、水彩は紙へ描くものであります。ところでガラス絵はガラスへ描くものであります。しかしながら、ガラスの上へただ描くだけならば、板の上や紙の上へ描くのと別段変りのある訳ではありませんが、ガラス絵の特色は、ガラスの上へ描くのではあるがその絵の効果、即ち答は、ガラスの裏面へ現われて行くのであります。即ち、裏から描いて表へ現わすという技法であります。それは丁度吃又(どもまた)の芝居の如きものでしょう。あの又平(またへい)が、一生懸命になって手水鉢(ちょうずばち)へ裃(かみしも)をつけた自画像を描きます。あの手水鉢はガラスではありませんが、又平の誠が通じて石の裏から表へ、自画像が抜け出すのであります。

ガラス絵は、あの調子で行くものであって、即ち手水鉢の代りに、ガラスを使用するものだと思えばよいのです。

 その「ガラス絵」の展覧会が、今度、『ガラス絵 幻惑の二〇〇年史』と題して、府中市美術館で開かれていることを私は知ったのである。

 だから、のろのろしながらも、私は、さあ府中市まで急ごうと、心中は酷く冷静に気負い立っていた。

 私は、上野から山の手線で左回りに新宿へ出ると、京王線に乗り換えて、特急で府中へ向かった。府中駅に着くと、既に四時を過ぎ、暗くなり始めている。

 美術館の開館が五時までであるのは知れたこと、それを思うと、美術館までの時間を急がねばならない。私は迷わずタクシー乗り場に急ぎ、府中美術館に直行する。

 美術館は、既に暗くなった府中の森公園の一隅に、公園の木立を前にして建ち、館の灯りが、日暮れの寒気の中、その姿を侘びしげに醸し出していた。

 タクシーを降りて入館すれば、館内だけは明るく、売店と受付のあるフロアに、若い二人の女性職員の姿があるだけだった。

 その一人が、開館時間はあと三十分しかありません、それでも御覧になりますかという。無論、ここまで来れば、あと十分ならばともかく、三十分あれば、展覧会を見終えようする思いは高揚するばかり、はい、見ますと答えて、券を求める。

 では、五時になると、閉館のベルが鳴りますから、そうしたら、直ぐ会場から降りてきて下さいと、係の女性は言い、さ、こちらへと、すぐ二階の会場入口まで、私を誘う。

 入口で女性は掌を会場に向け、どうぞと微笑んだ。その時本当に後三十分の、四時半になっていた。

 誰もいない、全く静かで空気も凍ってしまっているような会場を、私は自分の響かぬ靴音を友に回覧することになる。

 そして、その全く人気のない明るすぎる空間の中、シンカンという語の音感に、私という存在の一切が、すっぽり包みとられた感じになる。

 そのシンカンの中で、最初のコーナー「海を渡るガラス絵―――「技法の伝播と日本ガラス絵の燗熱」に入る。

 まず、西洋から渡来の、一点は二〇×四〇センチ位の、旧約聖書の、入浴の姿を長老に盗み見られたスザンナの話を扱ったものであり、今一点は、二〇×一五センチの、これはキリストの降誕図を扱った二点に会う。その二点はドイツの製品で、どちらも、ガラス絵の絵の具の色は鮮やかに残っていたが、その絵の具に剥落が生じていて、絵傷を白く、或いは黒く点々と残しており、それが黒く古びた額縁と共に古色を造出して、緊張を呼んでおり、目を見張らせた。その後、チェコやルーマニアの「聖母子図」や「聖ヴェロニカ」等の聖人図が見られたが、それらは全く絵に損傷がなく、保存の良さに驚くことになったが、古典的な古びの貴重さは造成されないでいた。

 その後には、インドやインドネシアの、どうやら、イスラム、ヒンドゥーの宗教的・神話的世界が取り上げられているガラス絵が展示されていて、キリスト教の西欧世界だけでなく、異文化の東南アジアの世界にまで広がり及ぶガラス絵の伝搬ぶりに目を見張り、小さなガラス絵という美の世界に否も応もなく飲み込まれていく自分を、肌に感じる。

 それらの絵は、殆ど十九世紀に造られていることが知れたが、次に、ガラス絵は中国に波及したことが証された。ところが、その作品は、「西洋人家族と三匹の羊のいる風景」「東港内の景」「青服を着た中国婦人図」といったもので、画題は宗教や神話とは無縁のものばかりで、それは、ガラス絵を介して、十九世紀以後の、近代化されていく時代の潮流が、中国絵画に、美しく受容されてきたことを、確実に語っていた。私はその進取性の見事な発現に感服し、それが、とかくこれまで中国絵画を差別的に観てきた己が認識の誤りに反省を齎すことになった。そして、こういう今宵の時間を独り占めする幸せに、私は陶然となる。

 すると今度は、渡来品ではなく、まさに、メードインジャパンのガラス絵が現れた。

 それは、まず浮世絵風の美女で、どちらも二五×三五センチの横長のサイズだったが、一点は、長火鉢の端に両肘を立て、その火鉢の上に伏す猫に目を遣って座っている、長い簪の際立つ女であり、もう一点は、点々と帆掛け船が浮かぶ河の流れを背景に、臙脂の洋傘を背に翳し、花柄にグレーの着物と紫の帯を締めた、結綿高い島田髷の美女の上半身で、その、色の、浮世絵にない、ガラスの艶に負けない鮮やかさが、到来する明治という時代の新しさを表示していた。その浮世絵風ガラス絵の魅力を、「ざんぎり姿浴後図」のモボの色気や、「弁慶と牛若丸に扮する市川左団次と尾上菊五郎」の役者絵のカラフルな色調に、ガラス絵化して見せている作品もあったが、その美は最早絵画的上手下手を越えていた。

 そして、極め付けは、明治天皇と皇后とが、それぞれの楕円の口に正装をして並んで描かれた、ガラス絵の肖像画だった。その威厳をもった造りに、描かれた二人が誰かは直ぐに分かったが、そこでは、ガラス絵であることが肖像を醜く仕上げてしまっていて、ガラス絵というものの写実の難しさ、危険を語っていた。

 また、富士山を遠景に持つ「芦ノ湖図」、料亭の二階や、水上の屋形船に明かりが灯り、雲中に夕日が沈みかけている「隅田川」、トンネルを出て走り来る蒸気機関の列車を描いた二〇×五〇センチという横長の「東海道箱根山の図」等の風景画があったが、ガラス絵が、新時代を飾る表現の一端として風情をなしてはいるものの、見栄えは皆無だった。

 こうして、ガラス絵の歴史の序幕が終わると、部屋が改まって、小出楢重と長谷川利行の作品が、それぞれ十点位ずつ登場して、一つのコーナーを造っていた。

 恐らく小出の作品は、大正末から昭和の始めにかけての一九二〇年代、長谷川のは昭和の一桁から二桁にかけての一九三〇年代だろう。

 小出の裸婦の作品は、小出独特の肌の色合いと、それを浮上させる際だった線描の効果が、ガラス絵に縮小されて愛らしい美を生み出しており、長谷川の場合には、対象に対する線と色との暖味混雑模糊化した表現が、ガラス絵として縮小たした揚げ句、額縁の中で精彩を失い、ただ色に汚れたガラスにしか見えなくなっていた。私には、小出の方がガラス絵をこなしきれているように見える。

ただ長谷川利行の作品には、関取の取り組みを描いた「相撲」の二点があって珍しく、さらに六×四センチの、殆どガラスの破片のような小ささで、描かれている者を見分け兼ねる「力士の顔」と題した、作品が何点かあったが、そこに、ガラス絵の題材として、昭和初期を代表するに相応しい一つの時代の表現を、長谷川は見込んでいたのかも知れない。

 この二人の作品の後、会場は「ガラスをめぐる冒険」と括られたコーナーになったが、そこでまず、三本のマストを持った、黒い船尾に鮮やかに絵柄の描かれた帆船が港に浮かぶ、南薫造の「我克(ジャンク)(注1)」という作品が登場した。金の額縁の奥に静まるそのガラス絵の美しさは、そこに、昭和の時代に入ってからの、我が国の異国趣味を物語っていたが、私にとってのそれを示す典型的な画家と感最されている川上澄生の作品が、その後何点か登場した。その作品は、「聖母子像」、「泰西王候馬上像」、さらには「蘭館散策(注2)」「洋灯を持つ洋装婦人之図」といった作品で、作品の題名が、作品のエキゾチズムを見事物語っている。その額縁も、ガラス絵の作品に応じた川上澄生の作品になっていることが分かり、ガラス絵が、絵画の特異な一領域であることが納得出来る。

 そのあと民芸工芸家芹沢圭介の「スペインの椅子」「洋書」と言った写実的な水彩画のようなガラス絵があって珍しく、その題名にエキゾチズムを読むことができても、画材の写実的な水彩画のような表現には、日常に溶けてしまったモノの匂いが立っていて、民芸的作家の芹沢らしい表情が出ていて嬉しくなった。

 加えて、ここで北川民次の「教会に集まる群れ」という一点に会えたのが、嬉しさを更に大きくした。その絵は、教会の入口の扉なのだろう、右手の板戸を前にして、奥を覗いて屯する、ヴェールを頭から被った十人ほどのメキシコの女性たちと、その背後から女達に割り込むようにして、ツンブレロと言ったか、広ぶちで中高の帽子を被った一人の男が描かれていたが、そこに民次の自画像を思い遣ることができた。そして、小さなガラスを通して見える情緒の小ささこそが、の、ガラス絵の魅力なのだと得心がいった。

 こうした異国志向の作品の後、今度は、もう半世紀以上昔になる様々な光景が、ガラス絵に現れ、その過去の風俗が、前に、小さく豊かに蘇り、その蘇った過去の情調が絵の奥から溢れ広がり出て、懐古の気分で私を包んだ。

 それも、本当に久方ぶりに、新派俳優花柳章太郎の作出会えたのが嬉しい。射的場の店内に、厚化粧の和服の女性が二人、座して客を待っている「射的」と、河岸のボート小屋も使い古されたボート乗り場も全て木造りの、川に点々とボートが浮かぶ「市ヶ谷ボート場」という作品が、女形章太郎の風貌と共に、半世紀前の風俗的世界に誘い込んでくれるのだからたまらない。その他にも、その作品の記憶はなかったが、夜の人の通りが賑わう「通天閣」の作品や、「雷門(浅草)や「チンドン屋」のガラス絵が、その思いっきり縮小された画面の遠さによって、ノスタルジックな気分を描き上げていた。

 ところが、そこへ藤田嗣治の作品「動物宴」が登場した。三〇センチもない画面に、大きな食卓を囲んで何匹もの猫たちが、皿に盛られた鳥や魚にナイフとフォークを振るって食事をしており、テーブルの手前では、何匹もの子猫が、餌の魚や鳥を手にして遊んでいる、漫画チックなガラス絵で、フランスへ行ってからの藤田らしい絵だった。画面正面の目立つ壁面上部には、藤田の裸婦の横臥像の額が描いてあって、それが藤田の遊び心を伝えていて妙である。

 この遊びに並んで、鶴岡政男の「子ども」、桂ゆきの、動物を扱った漫画調の何点かを見ることができたが、どれも、写実からは遠く、現実を概念的に据え、それを図形化していて、絵画とは、理解と解釈によって成立するという理屈の表現ようなことを、ここで確認させられる退屈に、作品の漫画性を貶めていて、がっかりさせられたが、そんな中で、鈴木信太郎の、楕円に描かれた、如何にも信太郎らしい「オランダ人形」の漫画っぽい愛らしさ、瑛九の、まるで絵の具箱を引っ繰り返したような色彩の交錯と、スクラッチによる線画で描いた踊り子が踊る「舞台」の、笑いを誘う作品が、良さをあまり感じることができない多くのガラス絵群の中で、私の目を楽しませた。

 そして、終わりの部屋になった。

 すると、そこにまた、川上澄生の作品が登場した。「女と白い鳥(レダと白鳥)」と題したギリシャ神話の素材を、川上独特の版画をガラス絵化したものらしく、その作品を嵌める額も、おそらくギリシャ神話の光景を扱った絵図だろうが、それを木彫りにして版画的に掘り上げてあり、川上のガラス絵作品に対する、その画題への取り組みも含めて、新たな挑戦を読む事ができた。

 それから、丹羽和子の、愛らしい浴衣姿の「夏の女」を描いた、二〇センチに満たない作品があったが、その右三分の一に、絵に涼を齎す簾が描かれ、その簾が、透かす女の姿との隔たりを感じさせるのだが、どうやら簾だけ描いた薄いガラスを女の姿の上に貼り合わせたようであるのには、一驚する。

 さらに、相笠昌義という初めて知る画家の「うたたね」とのいう、四O×六〇センチ位の大きめの作品では、畳の上で、夏の昼下がり、昼寝をしている母と子が描かれていたが、この作品では、この母と子の着ている涼しげな衣裳が、描く代わりに、実際の布地を切って、皺までつけて貼ってあり、子どもの足元に散逸する折り紙も、本当の折り紙が貼ってあって、ガラスにコラージュの技法が生かされていた。

 また、私も聞き知っている小館善四郎という、梶井基次郎の「檸檬」の虜になって、檸檬ばかり描いた画家の、レモンならぬ「まるめろ」があったのも面白かった。そのマルメロのざらざらした皮肌の質感が、ガラスの面そのものにそっくり表現されていて、こんな表現ができるテクニックのミステリーが、小さなガラス絵の神秘性を深めていた。

 その不思議の後、深沢幸雄の、黒をバックにした、二OX一五センチ大の、ジュールな造顔を施した詩的な作品二点が登場したが、その二点は、今日の私に対する極上の贈り物になった。

 一点は「小鳥紳士」と題し、色美しいシルクハットの下の眼部が、四角で真っ暗な二つの窓になっており、その窓の中に白い鳥の頭部が互いに向き合って眼珠を成していて、白い鼻、青い頬、赤い唇が、その下にゆったりと浮かび出ている。今一点は「強そうな人」と題されていて、楕円の画面だけが描かれ、その顔面は線状で六つの部分に仕切られ、糾合構成されていた。いずれにしろ、その二点が、分解と総合に基づくキュビズムの理念に根差す、エッチング的手法による、線と色彩を通じての、小さなガラスの面への見事な結晶になっていた。間違いなく、ガラス絵が、現代の絵画になっていた。

 他にも、知名な現代画家の作品が何点もあったが、私を引くものはほとんどなく、これで終わりかと出口を近く感じたところ、再び、北川民次の一五センチ程の作品に出会った。

 それは、一見して直ぐ分かる彼の「肖像画」だったが、その顔と髪とは、スケッチブックに描かれた鉛筆の線画のような軽さで、ガラス絵というものの素朴単純の美を、見事に教示しており、しかもその次には、誰の作品だったのか、一〇センチ大の、地も姿も燃え立つ炎も薄青く描かれた一本の「蝋燭」の絵が置かれていた。ここまで来ると、それは、シンカンのこの会場を一人で巡ってきた私を見送る、別れの言葉のように思われた。

 私は、今一度会場の入口の方へと急いだ。しかし、中程まで戻ったところで、終わりのベルが館内いっぱいに響き、私の足を止めた。

 アリガトウ・サヨーナラと、私は心に呟き、フロントへと階段を急ぎ降りる。

 降りて図録を求め、府中駅まで行くバスの乗り場を訪ねると、売場の女性は、それに答えて、次のバスは五時十五分ですと教えてくれた。ひっそりとした美術館から、暗く人気のない、静寂寒冷の夜のしじまの中に歩み出るその時、暗がりの中の一人身の己がひどくいとおしくなった。バス停まで歩

き、府中駅へのバスを一人で待つ。待ちながら携帯で家へ電話を入れると、妻の声が耳に入ってきて、胸の奥に微かな温もりが生じ始める。

 

(二〇一七、二、二〇)

注1

junk(元来は「船」の意味を持つジャワ語)。中国の沿海岸地域で、広く用いられている伝統的な木造帆船の総称。角型の船首と蛇腹式の帆を持つ。

注2

「蘭館」とは、長崎出島の和蘭(オランダ)商館を指す。「散策」とは、その商館界隈での散策を言う。散策する者は、洋装に身を固めた商館のオランダ人と、和装に身を飾った日本の芸者である。

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