承前
午後の参詣は、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムになった。
礼拝したのは、「水辺のアルカディア―ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界ーー』と名乗る展覧会である。
この展覧会のタイトルは、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせているが、「アルカディア」と言えば、中国の桃源郷に当たる言葉のはずで、それが「水辺の」という語で限られたことによって齎される牧歌的理想郷の味わいとは、どんなものなのか、加えて、それがシャヴァンヌという名前の音調と重なって齎される「神話世界」とは、どんな風合いなのか、この展覧会を不思議なヴェールで包んでしまっているところが妙だ。
それにしても、私にとって、シャヴァンヌといえば、古くから何度も見て親しんできた一点、国立西洋美術館に常設展示されている松方コレクションの「貧しき漁夫」があるのだが、それは水辺の景ではあっても、とても「アルカディア」ではない。
その絵は、寒々とした岸に寄せられた小舟に、体の前で手を組んで項垂れて立つ、髪も髭も黒い痩せた男が描かれ、男の後ろの小舟の底には黒い布を腰に纏った裸の赤子が横たわっていて、そのうそ寒い印象に浸ると、やがて男が、祈るキリストのように見えてきたりして、記憶に染み付き沈みやすかったようである。
もう一枚、大原美術館でもシャヴァンヌの作品に会っているが、それは二、五×一、五メートルはあろう大きな作品で、確か「幻想」とかいった、作品の淡い青色の印象が残っている絵だった。確か、森の中で、何かに腰掛けた裸の女が、蔓のような物を振り回して、不死の徴ペガサスを思わせる有翼の白馬を追い立てている、そんな情景が描かれていたように思う。
しかし、シャヴァンヌでは、今一つ新しく記憶に留まった一対の作品もある。一九九〇年代から、パリのオルセー 美術館の作品展が、何度も来日公開されてきたが、そこで 見た「気球」と「鳩」の一対の二点がそれである(注1)。
一、五×一、○メートル位のその絵は、どちらも、画面中央に黒く裾長のドレスを身に纏った女性が立ち、「気球」では、高台の上に右手に銃剣を持って立ち、左手の彼方に飛び去る気球に向かって左手を高く上げて、何かを訴えるかのごとく見遣っている女性の後姿が描かれており、「鳩」の方は、女性がパリの街を下に望む位置に立ち、右手で胸元に白い鳥を一羽抱き、右端上隅に描かれた、今し、飛び去ろうとしている鳩(おそらく伝書鳩であろう)に向かって、それを見上げ、左手を掲げて何事かを言伝てようとし ている姿が描かれている。
その作品が描き上げられた一八七一年と言えば、前年の普仏戦争によって、パリはプロシア軍に包囲され、市民たちの籠城空しく敗戦を迎え、揚げ句第三帝政が崩壊して、 パリ・コミューンにより市街戦が起こる事態を迎えていたはずである。
この普仏戦争に、四六歳になっていたシャヴァンヌはフランス国民軍に参加したようで、この二点が、孤立の中で放を求めるパリ市民の声の、政治的表現になっているこ とは疑いようがない。
この展覧会では、その「気球」と「鳩」の、四〇×三〇センチ程の、油彩による下描きの習作が出展されていたのである。下描きであるため、「気球」の女性が右手に持つ銃剣の下部が描かれない状態になっているのだが、完成作のような色彩の多様な使用がないだけ、全体として暗褐色の表情が、歴史的事態への内にこもる鬱情をストレートに示しているように見えた。
ともあれ、こうして見ると、私に記憶されてきたシャヴアンヌの絵は、観念とかイデーとかいうものを、現実的な写実を通じて神話的・浪漫的に描いたものだったようだ。そして、それには、シャヴァンヌが印象派の画家たちより一世代前に生まれたことが、大きな意味を持っていたこと になろうか。
そして、彼のこの神話的・浪漫的特徴が、最も直接的に示された仕事(作品)こそが、様々な公的な建造物に描き残された多数の壁画になるのだが、その壁画群を成立させた彼の仕事の証左となる、習作を始めとする作品の数々が、展示の中核として、以後会場に展開されることになった。
それは、印象派以後の近代洋画に馴染んできた者の眼には、一寸古典的ではあっても、どれも物語り的な構想を持っている絵造りであるだけに、改めて創造ということの新鮮さを覚えることになった。
その壁画群は、ある『食堂の壁画装飾』に始まり、次ぎには、アミアンの『ピカルディ美術館の階段の壁面装飾』、さらに『パンテオンの壁画装飾』から『アミアン美術館階段の第二の壁面装飾』、さらには『リョン美術館の階段の壁面装飾』、『パリ支庁舎の十二宮の間の装飾』と、都合六箇所の装飾画それぞれの、習作や素描、壁画を油彩画として完成させた作品が展示されていた。それらによって、今日建つそれぞれの建物の壁面を装飾している画面の全体を思い遣ることができ、その壁面を完成させるための努力の経緯を思い遣ることができた。
食堂に関しては、その二、三メートルはあるという壁画、「奇跡の漁り」「ルツとポアズ」(注2)「葡萄酒造り」「放蕩息子の帰還」(注3)四点の習作が、それぞれ五、六〇センチの油彩画として展示されていた。どれも作品として完成していないため、輪郭線や色づけに動きが露で、それが、食堂の壁を飾るということもあって、美術館や神殿のような広やかな公的空間を飾る壁画作品とは違う、作者の応対ぶりが窺えて面白い。
『ピカルディ美術館』については、四、五×六、五メートルはあろう現場の壁画「労働」と「休息」の二点の、サイズ一メートル未満の油彩の習作と、一、OX一、五メートルの完成作を再現した油彩画があり、それを見ていると、十数名の、ほとんど裸の男女が織り成す人物を核にしての画面構成と色彩構成の確立の過程が見え、そこに 「労働」「休息」という、人間の根底にある存在の意味が、ほとんど語られるように描かれていることがよく分かった。
しかも、ここに描かれた人物の一人一人やグループやの、鉛筆・コンテを使っての裸体画の、二十センチから七、八〇センチほどの素描が二〇点ほどあったが、それも、障壁画の作成過程の画家の難儀というものを知らしめる。
次ぎに登場する壁画の場パリの「パンテオン』といえば、デュマやユーゴーやソラの作家達や、ルソーやヴォルテールの眠る、パリの守護聖人であるジュヌヴィエーヴを祀るために造られたドーム教会で、その壁面にシャヴァンヌは、「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」を、縦四、六横八メート ルの大きさで描き、その上部に、「聖人のフリーズ」と題して、縦二、二横八メートルにわたって、二十人の聖者を並び描いたのであるが、その二点の、縮小した油彩画が出展されていた。
このパンテオンのこの壁画によって、シャヴァンヌは画家としての評価が決定的になり、レジオン・ドヌール勲章を受けるに至ったようだから、その作品の紹介出展は欠かせなかったに違いない。
とりわけ、五十センチに一メートルほどの油彩で再現された「聖ジュヌヴィエーヴ」の絵は、実際の完成壁画を目前にした時の、広い景色の中央に立つ白衣の一人の少女を中心にして、彼女を目指して集い来る多数の人々の動きとその配置・構造の見事さを、私に彷彿とさせた。
手前の岸に寄せられた手漕ぎの小舟と遠景の水辺、木立が散見できる青い丘陵部を背に広がる村里の大地、やがてパリの守護聖人となる少女ジュヌヴィエーヴの未来に祈りを託してそこに集う、素朴な身なりや半裸の姿で描かれた農夫、漁夫、老いた病者や赤子を抱く母親など、多数の人々、丘陵の上の雲を分けた朝焼けの中の空の微かな温もりの空気の中に描かれている。
まだ小寒く、すっかり明け遣りはしないが、そこに集う 人々の連なる温もりが、少女の未来を暖かく包んでいる、 そこにシャヴァンヌのパリ市民としての奢らぬ優しさがよ く出ている気がする。
このジュヌヴィエーヴの作品のために描かれた三〇セン チ程の素描習作が、七点あったが、人物一人一人をその陰 影まで込めて、細密な鉛筆線で描いてあるのを見ると、作 品全体のためには、どれくらいの素描を試みたのだろうか と、その基の膨大さが想像されもした。
さらに『リョン美術館』になるが、ここでは、壁画が描かれた階段部分の現場写真が掲示紹介されており、それを見ると、凡そ縦四、五メートル、横五、五メートルの壁画「古代の光景」と「キリスト教の霊感」の二面が向き合い、その二面の間を縦四、五メートル、横一〇メートルの「諸芸術とミューズたちの集う聖なる森」の大作がコの字型に設けられていることが分かり、その約四分の一の大きさで 描かれた各作品の完成再現画が、本展では展示されていた。
それを見ると、描かれた世界の空間を占める大気の豊かさと伸びやかさを十分に感じとることができ、広い空気感を表現するシャヴァンヌの力量を認めざるをえなくなった。
とりわけ、ミューズの集う森の絵(一×二、二メートル)が、私には魅力的で、そこには、深く息づく森の緑を背に、向かって左手から右へと広がるな池畔を取り入れ、背後の森まで広がる緑豊かな芝草に、十人程のミューズたちと何人かの少年が、三々五々、それぞれの位置を定めて大きな画面に描かれている。
画面右手前の月桂樹の下には、裸の少年が二人描かれ、 一人が枝を折ろうと背を延ばし、一人が跪いて月桂冠を作 っている。今一人の少年は、画面中央の、下半身を布で覆 った五人の女神たちの、腰を下ろした中央の女神に花束を 手渡している。左手の池畔の草上には、一人の女神が、水 面を見て横たわっており、左端の柳の大樹の根元にも、今 一人思案気に座した女神がいるのだが、その多くが、髪に 月桂冠を戴いている。そして何よりの佳所は、森を背にし て、裾を靡かせ二人の女神が右に向かって飛翔している表 現だ。その一人は手にした竪琴を奏で、一人はそれに併せ、胸に手を当て歌っているかに見える。
最早、この画面の語るものが、美の女神たちの集う芸術の理想郷=アルカディアであり、その理想郷が水辺にあるのだから、これがタイトルに添えられた「水辺のアルカディア」であることは明らかであろう。つまり、本展のタイトル「ビュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界」そのも のを代表する作品であることを、どうやら語っている。
壁画作品については、この後最後に、パリ支庁舎の仕事が、巨大な壁画「夏」「冬」二面の作品の、五〇センチ×一メートル位の習作と、一対の天井画「慈愛」と「愛国」作品の、前者二、五×三、五メートル、後者一メートル四方位の習作が、展示されていたが、もう、あれこれの感想を述べることはやめる。
ただ最後に、シャヴァンヌを訪ね、自らの作品について 教えを請うている黒田清輝、その黒田の直弟子としてシャ ヴァンヌのロマン的絵画の装飾性に影響された藤島武二の 作品が展示紹介されていたことは記しておかねばならない (注4)。とりわけ、藤島武二がスケッチブックの画用紙に描き残した、パンテオン、ピカルディー美術館、リョン美術館、パリ支庁舎の壁画の二十点を越す模写は、彼のシャヴァンヌに対する拘りをよく語っていて、明治の画家の夢中ひたすらの勉学姿勢を、改めて痛感させられた。
黒田、藤島の二人によって、東京芸大の洋画科が築かれたことを思うなら、日本の洋画の近代化に、シャヴァンヌが齎した影の力は否定できないということになる。そのことを学び得ただけでも、このシャヴァンヌ展は、見にきた甲斐があったというものだ。
シャヴァンヌという画家の仕事を、これだけ纏めて見、その息遣いを温もりとして生に感じえた喜びが、たとえ一時にしろ、今の私の体温に溶解しているのは確かだ。
この喜びの体温を、渋谷駅までの雑踏の中を歩くことで 失いたくないものだ。
(二〇一四、一、二五)
注1 「気球」「鳩」の二点を見た『オルセー美術館展』は、「一九世紀の夢と現実」を副題にした、一九九九年に開催されたもので、私はそれを神戸市立博物館 において見ている。
2 旧約聖書ルツ記の話を描いている。
3 新約聖書ルカ伝にある有名な例え話による。兄と分け与えられた父の遺産を、放蕩の旅で使い果たし落ちぶれ帰ってきた弟息子を、喜びの宴を開いて迎える話である。
4 黒田清輝が渡欧し滞仏したのは、一八八四(明治 一七)年から一八九三(明治二六)年までの十年間 であり、藤島武二が官命により仏・伊に渡欧したの は、一九〇五(明治三八)年一一月から一九一〇(明治四三)年一月までの、足掛け六年間である。
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