川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

パリのブルジョア紳士の写実 ギュスタヴ・カイユボットの世界

 その展覧会は、見終わった後の会場内のカフェでの一服が、私達に豊かな気分を導いてくれたことによって、展覧会の印象が際立った、そんな展覧会だった。

 展覧会は、副題として「都市の印象派」の名を持つ『カイユボット展』だった。それは東京駅の東、人目も少ない八 重洲通りにある、石橋財団ブリヂストン美術館でのことである。

 ギュスターヴ・カイユボット。私は、彼がモネやルノワールら印象派の画家たちの運動に対する経済的な支援者だったということ以外には、その画家としての働きなど、彼の作品一点が記憶にある(注1)以外は、何も知らないのだが、そんなカイユボット個人の作品展をわざわざ催すというのだから、美術の鑑賞世界も、随分暇で長閑な時代になったものだと、少々呆れながら、珍しい物見たさに唆されてのお出掛け となった。

 この美術館は、美術館所蔵の名品群の常設展によって、その評判は高く、普段、物静かな佇まいなのだが、今回は独特な企画展のせいなのであろう、流石に、いつもより入館者が増えていた。

 ともあれ、最初の部屋は、カイユボットの自画像三点と、参考作品として、本財団所蔵のセザンヌの著名な「帽子をかぶった自画像」が併掲されていた。

 最初の自画像は、五〇センチに充たない小品だが、まるで林の木立のような深い緑を背景にした、白い帽子を被り、鼻下と顎に髭をたくわえ笑みを浮かべた青年の顔、「夏帽子の自画像」だった。どうやら、一八七〇年代に描かれたようだから、一八四八年生まれのカイユボット二〇代の自画像だということになる。あとの二点は、どちらも一八八九年頃の、四〇歳頃の作で、髭面は二〇代の状態に白毛を交えて貫禄を 増しているが、白髪交じりの頭髪を坊主刈りに近く刈り込み、こちらを斜めに構えて見つめる黒目の、その痩せた相貌の、怒りを思わせるほどの眼差しの厳しさは、私には、その真面目振りが些か異様に過ぎて、多少ユーモアを感じさせる帽子を被った二〇代の自画像の方に親しみを覚えた。

 次の大きめの第二室には、室内とそこに過ごす人物を扱った風俗画的作品が並んでいたが、十点を越すこの部屋の油彩画は、どれも一〇〇センチ前後のサイズの、印象派的色彩感覚に犯されていない極めて写実的な作品で、見やすく馴染みやすかった。

 中でも、「ピアノを弾く若い男」と「昼食」の二点が私に は魅力的だった。

 前者の「若い男」は、ガウン姿で黒いグランドピアノに向かっており、その背後の窓の白いカーテンからは、ベランダの手摺りと、向かいのビルの窓が透けて見え、この居室が、大都市パリの、ビルの二、三階であることを窺わせる。鍵盤の部には、Erardの金文字が読める程写実的な描写だ が、この展示室の中央には、その金文字のあるエラール社のグランドピアノが参考に出品されていて、そのピアノがあるお陰で、描かれたこの絵の部屋が、まさにこの展示室位の大きさはあろうと察しが行き、カイユボットの日常の生活空間がどんな広さか見えてくる。

 それにしても、ピアノを弾く場面を描いた印象派の絵と言えば、ルノワールが直ぐ思い浮かぶが、その作品では、ビアノに向かって椅子にかける女性と、その傍に立つ女性の二人が必ず描かれ、ピアノはどれも、グランドピアノだと見做すことのできぬ、アップライトピアノだった。

 新しい市民層の台頭につれ、マダムと呼ばれようと構える 女性たちが、ピアノの学習を試みる、その師弟の女性たちの時代的な色気をルノワールは描いたのだ。つまり、ルノワールにとって、ピアノは新しい時代の女性を描くための小道具に過ぎぬが、カイユボットのグランドピアノは若い男の生活に同化した、画面的にも若い男と同じ比重を持った、道具というよりは暮らしの遊具である。

 その姿勢が、今一点の「昼食」にもよく出ている。

 これは、ピアノの作品より一回り小さい作品だが、作品の中心を占めるのは、円い大きなテーブルで、それは、ピアノと同じような黒光りをしており、その卓上には、ワインや水の入った大きめのガラス瓶、大小二つのグラス、果実の盛られた鉢などが置かれている。正面奥の大きなフランス窓からは、レース編みと見えるカーテンを通して光が部屋に差し込んでおり、そこにいる人物は逆光の中で陰って描かれることになり、その分、食事の景は暗く陰った静かさを作り出すことになる。食事は、テーブルの右手に掛けた男性が、皿の上の肉をナイフとフォークとで切って食べようとしており、その奥、こちらを向いて掛けている男の母親と思われる女性は、傍らに立つ執事と思われる男性の差し出す大皿から、スライスされた肉の一切れを皿に取ろうとしている光景となっている。

 ここでは、間違いなく、テープルは食事を摂る人物と同じ比重を持っており、室内の彩色の黒っぽい仕上がりは、「ピアノを引く若い男」の採光・彩色の黒っぽさと等しく、それぞれ、そのゆとりのある室内で過ごす者たちの、恵まれた暮らしの時間のゆるやかな流れを感取させるものだった。

 この二点の後、今度は何点かの肖像画が並んだ。

 それは、部屋の一隅の赤いビロードの肘掛け椅子に掛け、俯いて編み物をする老女の、紛れも無く「昼食」に描かれていた母の肖像、恐らく、それと同じ部屋の同じ椅子に掛けて、胸先に開き持った本を読んでいる背広姿の初老の男性像、着飾ってコートを羽織り、シルクハットを被り右手にステッキを肩に掲げ持って立つ、鼻下と頬顎の髭の美しい紳士像、青いビロードの肘掛け椅子に膝を組んで掛け、大きな窓のカーテンからの光を受け、殆どその面差しを逆光の中に浮かべてこちらを見ている、ガウン風部屋着を纏った、こちらは髭のない中年の紳士像、さらには、ソファに横たわって書を紐解く紳士をバックにして、木組みの美しい肘掛け椅子に左を向いて腰掛けて新聞を読む、緑のエメラルドのイアリングを付けた束髪の若い女性像といった、どれも一メートルには充ない作品たちだった。

 しかし、それらの人物は、誰もが藍色と紺色の身繕いで描かれており、背景になった壁面の影も、場合によっては外光を受けるカーテンまでもが、その藍色や紺色の濃淡爽やかに描かれていて、シルクハットの紳士立像を除いては、全てが、室内での自分の沈黙の時間と静かに向き合っている、その穏やかさの不思議な深さを、その青い筆刷けは見事醸し出していたのである。

 そしてその後には、やはり室内を描いたものとして、「室内ーまどベの女性」と「ピアノのレッスン」が登場したが、 前者は、窓辺に中年と思われる夫人がこちらに背を向けて立ち、その手前では、肘掛け椅子に横を向いて掛けて新聞を見る、主人と思われる髭面の男性が描かれており、その夫人のビロード風ドレス、男性の部屋着、窓の厚手のカーテン、椅子のソフトな布地の全てが藍と紺色で、それが室内の空気の落ち着きを作っており、後者は、ピアノの楽譜に向かって、右手にこちらへ背を向けて座る太り気味の娘と、その左手に黒い帽子を被ったドレス姿で座る先生と思われる女性とが描かれているが、ここでもピアノの上の花瓶の薔薇やドアの黄土色を除けば、画面の殆どは、ルノワールの場合の暖色系とは全く対照的な黒と紺とで占められていた。

 おそらく、カイユボットにとって、喧噪と繁雑が日毎に増し、歓楽の度合い高まるパリの新しい時代の動きは、モネやルノワールのように喜びとして共鳴共感し、暖色系の色彩描写で済むことではなかったのであろう。そこにはブルジョア青年カイユボットの、より安定した、静の世界への希求願望が根差していたであろう。そして、私自身は、ブルジョアとは全く無縁な立場にあるのだが、このカイユボット的色彩空間の静謐に対して、違和を感じることはさらになく、心落ち着く共感を覚えていたのである。

 ここまで見て来ると、印象派の画家たちの中で、その色彩との取り組みに対して、カイユボットは、その室内の風俗表現に対して全く印象派的ではなかったことが見えてくる。

 そして、次の三つ目の部屋に移ると、今度はパリの街の風景画が並んでいた。そこには縦一、二メートル、横二メートル近い大作の「ヨーロッパ橋」があって、どうやら、モネがパリのサン・ラザール駅を描いた作品何点かを発表した印象派展に出品したものらしい。

 言うまでもなく、モネのサン・ラザール駅の風景画は、その構内にいる列車の機関車とそれが吐く白煙の、新しい時代の象徴的な動の表情を描いたところに、印象派的傑作としての評価が下されているわけだが、カイユボットは、そのサン・ラザール駅の上に掛けられた鉄橋「ヨーロッパ橋」の、まさしく新時代が作り上げた堅固不動の姿を描いたことになる。

 この絵を大きく占める鉄橋は、斜めに交錯して組まれた鉄柱の、人の背丈の倍以上の高さをもった鉄格子と、その内側に設えられた鉄の欄干から成り立ち、それが右手前から左手へ向かって、遠近法に従って長く奥まって行き、鉄橋の大通りの奥の街のビルに及んでいる。手前の欄干には、それに凭れて橋の下を見やる男が一人、その左手の歩道には、奥へと歩く白い首輪を付けた犬が一匹、その奥には、こちらに向かって歩く、シルクハットにコートの神士とドレスを纏って日傘を差す婦人、さらにその右手の橋寄りを奥へと歩く労働者風の男等が、明るい日差しの中に描かれていて、これらの動くものたちによって、画面を大きく支配する鉄柱・鉄橋のびくともしない固さがこちらに迫ってくる。その不動性が、こんなに伝わるのは、間違いなくその構図に負うていると、改めてカイユボットのとった橋の遠近法表現に拍手したくなった。

と同時に、ここに描かれた鉄橋と人物たちが、その傘や帽 子の類に至るまで、濃淡の差こそあれ、青を基調として描かれている拘りにも引き付けられる。無論、空も歩道に落ちる 影も、薄い青で塗られている。

 この橋については、今一点、一メートル×一、三メートル程の「ヨーロッパ橋にて」という作品もあったが、こちらでは、鉄橋の柱と欄干その前に立つ三人の神士、さらには橋の透き間から望まれる駅の建物に至るまで、殆ど青から黒への変化の中で色調が造られている徹底振りだったのである。

 そういう中で、その後、「オスマン大通り、雪景色」とか「イタリアン大通り」等のパリの賑わいを俯瞰的に、明るく描いた極めて印象派的な作品が何点かあったが、私には、もうまるでつまらないものに思われた。

 それに続く二部屋は、パリ郊外の広大な別荘庭園でのカイ・ユボットの生活から齎された作品群で埋められて行くことになった。

 その前半は、パリ近郊のイエール川沿いの別荘と庭園での生活の中で生まれた作品だったが、庭園や木立の風景画に私は見るべきものなく、別荘の庭に等しいイエール川での、カ ヌーとボートの遊びを描いたものに興味を覚えた。しかしそれは、川遊びの風景として描くのではなく、視点を川の流れの水面に据え、舟によっていで立ちを変えた漕ぎ手を、間近に正面から描いているところに、川を我がものとして暮らすことのできる者の恵まれた境遇が窺えて、モネのボート遊びの絵にはないカイユボット独自のブルジョア的風趣を覚えた。

 同じことは、最後の何年かを過ごした、セーヌ河沿いのプティ・ジュヌヴィリエの別荘庭園での作品でも起こり、セーヌの河や広大な農地を描いた彼の風景画群に引かれることは全くなく、ただ一点、岸辺の川面に浮かぶ、帆を降ろした何艘もの小型帆船を、視点を水面に置いて描いた風景画が、その曇り日の、水音すらない河の揺らめきに、死の近づいているカイユボットーー彼は四十六歳で死んでいるーーの潤み心が見えるような気がして面白かった。

 こうして展覧会は、彼の静物画によって括られることになったが、そこでは、花を描いたものに特別の感慨はなく、一メートル近い「鶏と猟鳥の陳列」と「猟鳥とレモン」の鳥の死体を描いた二点が、血の赤ではない配色の赤色が生々しく、筆刷けと色彩において、私には、これが最も印象派らしい絵に思われ、印象を後に留めそうだった。一見終えて、印象派のメンバーとして作画しながら、印象派の活動の意味にクエスチョンマークを、ブルジョアなればこそ投じえた、カイユボットという画家のユニークな面白さを感じ得た今日の遊びに、私は心が軽くなっていた。

(二〇一三、一一、一五)

 

 

 注1 記憶にあるのは、オルセー美術館にある「床削り」の一点である。この作品には、印象派に関する展覧会や「オルセー美術館展」で複数回出会っているからである。   

 なお、カイユボットの名が、印象派(印象主義)の画家として、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、ドガ、セザンヌなどと共に上がっている美術辞書を見たことはない。

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